映画:海獣の子供

原作の漫画は未読。なので、ファンの方はごめんなさい。

予告で流れていた映像美を求めて観に行った。期待どおりの美しさだったので、その点だけでも観る価値あり。

 子宮の中を満たす羊水の様にトロリとした粘度のある海面。晴れた海、曇りの海、雨の海。優しい海、恐い海、海、海、海。

砂浜に打ち寄せた波が引き、引いていく波に取り残された海水が砂浜に吸い込まれる。潮風が肌を擦り、波打ち際を歩く足の裏や指の間を砂が流れていく。

土砂降りの雨の中で自転車を漕ぐ、顔や身体にぶつかって来る雨粒の痛さと雨に溺れているかような息苦しさ。雨の匂い。

運動場で転んだ膝の擦り傷のひりつき。教室の木の床の固さ。床に散らばる埃の臭い。

う~ん、なんだこの感覚は。映像を観てリアルな「触感」や「嗅覚」の励起が起こったのは初めてだ。

 

残念な評価としては、待ちに待ったクライマックスシーンが、それまでの「これでもか」というくらいの緻密な映像美とはうって変わって抽象的な表現のオンパレード。…眠い。勘弁して下さい、眠いです…となってしまった。

そして話が難解。主人公の女の子の「悩み」と、「祭り」と呼ばれる、地球全体どころか宇宙規模の巨大な事象のバランスに戸惑う。

ジュゴンに育てられた少年二人は、海への生け贄なのか?だとすると、生け贄の必要性が判らない。

海洋学者達が、何やら研究しているけれど、何のために研究しているのか、さっぱり判らない。さらには米軍?まで出てきて、海洋開発の陰謀にまで拡げる意味はあるのか?

主人公の女の子は一匹狼タイプらしく、学校のハンドボール部では孤立気味。チームメイトの一人とトラブっても、味方になってくれる人がいない。顧問の教師までもが、先に手を出した相手のケガばかりを気遣って、膝を擦りむいている主人公をいたわるどころか叱責する。さらに家では、母親がアル中気味で父親は家を出ていってしまっている。アル中の母親と中学生が二人暮らし。おい、父親。それで良いのか?と突っ込みたくなる。たぶんだけれど、この女の子は「お前はしっかりいているから、大丈夫だよな」と言われるタイプなのだろう。それにしても、あんまりだ。

冒頭の水槽の前に立つ主人公の女の子の前に魚が集まる理由は全くなく、謎のまま。誰か、教えてくださいと言いたくなる。

おまけに、途中から出てきた若い海洋学者は、何のために出てきたのか?

原作に忠実なのかも判らないので、もやっと消化不良気味でエンドクレジットを迎えた。

つまり、原作を読めと言うことですね。