これは「公開いじめ」じゃないの?

昨日は一日中モヤモヤしていた。

原因はわかっている。一昨日、放送されたあるテレビ番組のせいだ。

過去に話題になった人を探し出して、現在は何をしているのかを紹介するという、お馴染みの内容のバラエティ番組。

 

その番組に、東京都の前の都知事の舛添要一さんが出演していた。

舛添さんは股関節の傷みが悪化して、人工股関節を入れ換える手術をした後、リハビリに取り組んでいた。でも、家の外を歩きたくても、マスコミの取材を用心して余り出歩けないということだった。

番組は、さらに舛添さんの現状を伝えていく。

舛添さんは都知事を辞職した経緯ゆえに、再就職もままならず、二人の子供さんはこれから学費等のお金が掛かる時期(大学にも行かせたい)とのことで、家族を養うためにも、テレビ業界に戻りたいとのことだった。

 

自業自得とは言うものの、リハビリも満足に出来ないのは、流石に気の毒。子供さんも微妙な年頃だろうし、大学に行かせてあげたいってのは、親なら当然思うとことだし…。

 

ここで、舛添さんがスタジオに登場。

けれど、このスタジオでの舛添さんの扱いが余りに酷かった。

まさに、公開いじめ。

公用車や政務活動費の使い方についての会見のVTRを流して、雛壇に座った芸能人達が一年間と同じ批判を繰り返すという、意味がない内容がしばらく続いた。

股関節が痛いという事に対しても、同じく股関節に障害がある芸能人が「お風呂で足が伸ばせないぐらい、我慢するべきだ!私だって先天的に股関節に異常があって手術をした。私みたいに股関節が痛い人達は、別荘でゆっくりできる舛添さんみたいに恵まれていない!」と批判した。

この意見には、流石にホリエモンこと堀江貴文さんが「自分と同じ苦しみを持っている人が、自分より恵まれた環境にいることを批判するべきではない」とたしなめていたけれど。 

…まったくその通りだ。自分より恵まれている人を「狡い」と批判するのは、ただの嫉妬でしかない。

 

そして、私が「これは、公開いじめだ」と一番感じたのは、舛添さんが「趣味」である書道の腕前を披露する場面だ。

舛添さんの娘くらいの年代の若い女性芸能人が書く文字を「お金」と指定した。

舛添さんに「お金」と書かせる。まず、それに底意地の悪さを感じた。

舛添さんは黙って色紙に筆を走らせた。

折り曲げた左手を身体の前に置く、ちょっと独特な姿勢。書かれた文字も独特な書体。

残念ながら、余り上手とは言えなかった。

スタジオ内に失笑が漏れた。

司会者が、なんとか場を和ませようとして舛添さんが書いた文字について気の効いた感想を言ったのに、ある女性芸能人がいきなり「書道をする姿勢が間違っている!」と舛添さんを批判(と言うか、糾弾に近い勢いだった)した。彼女の批判はただ舛添さんを貶める悪意しかなかった。

…冷静に考えて欲しい。舛添さんは書道家ではない。ただ、書道を趣味として楽しんでいるだけだ。どんな姿勢で書道をしようと、舛添さんの自由の筈だ。

あの女性芸能人が舛添さんを批判していた時の顔は、私にはとても醜く見えた。

そこで舛添さんのコーナーは終わり、別の人の話題に切り替わった。

 

 雛壇に座っていた芸能人達も、ただ自分たちに与えられた役割を演じただけなのかも知れない。

舛添さんの自業自得と言えば、そうなのかも知れない。

出張費や公用車の使い方、政務活動費の使い道等で問題があった事は批判されてしまうのは仕方がない。

でも、あそこまで舛添さんを貶める必要があったのか?

 一度、間違ってしまった人は再チャレンジが出来ないのか?

 

とにかく、昨日は一日中モヤモヤしていた。