虐待って判断が難しいこともある

虐待されて亡くなってしまった女の子の話でもちきり。虐待をしていた父親は、案の定「しつけだ」と言っているらしい。

女の子を守るべき母親も、夫の暴力に怯えて思考停止していたらしいし、教師も教育委員会も役にたっていないどころか、父親の恫喝に負けてしまっている。とても残念だ。

虐待が疑われる事があれば、近所からの通報でも児童相談所が動いてくれるらしい。でも、ある母子家庭で神経質な子供が余りにも頻繁に泣くので、近所から児童相談所に通報されてしまい、対応に振り回されているという話も聞く。難しい問題だ。

 

 

ドラマ:夕凪の街、桜の国

この間、再放送をしていた。

原爆が落とされてから十年後の広島が舞台。

広島の街は復興して、人々の穏やかな暮らしが流れていく。

主人公は、被爆をした若い女性。

工場に動員され働いていた時に原子爆弾が爆発したが、運良く助かった。でも、崩れた建物の下敷きになってしまった友達を見捨てて逃げたことや、火傷をして苦しんでいる人を助けてあげられなかったこと、死んでしまった人から下駄を盗んでしまったこと…。そして、生き残ってしまった自分を責めている。死んだ人達は決して自分を許さない、と。その罪悪感に蓋をして、彼女は日々を懸命に暮らしている。だから、彼女は自分の将来にも蓋をする。彼女に好意を寄せる男性の気持ちに応えて良いのか、自分はそれを許されない人間なのに。

命だけではなく人間性や生き残った人達の将来の夢までもを奪う戦争の残酷さ。

そして彼女は、原爆症で床についてしまう。死にゆく彼女は問う「嬉しい?原子爆弾を作った人は、また一人殺せたって喜ぶ?」

アジア諸国への侵略から第二次大戦にかけて日本は沢山の外国人を殺してしまった。だから、東京や大阪などの日本の各都市に無差別に空襲された事や広島と長崎に原子爆弾を落とされた事は、自業自得なのかもしれない。これは私の意見。侵略という言葉を使うことへの異論や、アメリカが原子爆弾を使って人体実験をしたかった、またはソ連に対抗するために使った、などの沢山の意見がある。一人一人に意見が違うのはとても大切なことだし、相手が自分と違う意見だからと相手のことを全否定もしない。

でも、原子爆弾は絶対に使ってはいけないという意見、これだけは譲れない。原子爆弾は使用した時の被害だけではなく、戦争が終わっても被害にあった人達を殺し続ける。しかも、それは人種や性別、年齢、職業、主義主張を選ばない。

最後に。件の原爆Tシャツを作ったデザイナーさん、第二次大戦を終わらせたのは原子爆弾のお陰だと思っているアメリカの人たちへ。私の意見では、日本が無条件降伏したのは原子爆弾のせいではなく、ソ連が不可侵条約を破棄して参戦したから、なので。

ドラマ:今日から俺は!

観ていると、楽しくなるドラマである。

ツッパリ全盛期に学生だったから、三橋くんの短い学ランや女の子達の髪形(聖子ちゃんカットや中森明菜風)や足首まで届く長いスカート(今は短すぎるスカートが注意されるとは…時代も変わるものだ)に「あ~、こんな感じの同級生が居たな~」と、懐かしさもプラスされ、次の回が待ちきれない。

主人公の二人がとにかく格好良い。三橋くんは見事にずる賢いし、伊藤くんは真面目(笑)にツッパリをしている。

でも、脇を固めるキャラクターも好きすぎてたまらない。

紅高の今井くんと谷川くん。今井くんの馬鹿さ加減に優しく突っ込む谷川くん、開久の頭である片桐くんも格好良いし、二番手の相良くんが怖すぎる。

女の子も可愛い。理子ちゃんは「風紀委員だから」と三橋くんに注意と言うアプローチをしているし、伊藤くんの彼女である京子ちゃんは、スケバンとブリッ子(もはや死語。若い人は解るかな?)のキャラクターでくるくると表情が変わる。俳優さんって凄い。

それに、高校の先生が(それなりに)尊敬されているのが良い。先生も生徒達を温かく見守っているところも懐かしい。学生時代は服装検査がとにかくウザかったけれど、先生もそれなりに目こぼししてくれていたし、それなりに余裕があったな。今は学校だけではなく、父兄や周辺に住む人からも色々言われるから、先生も大変。

福田監督の作品ではお馴染みの佐藤二郎さんとムロツヨシさん。二人の演技が可笑しすぎて、相手役が横を向いてカメラから表情を隠しているのは、堪えきれずに笑っているかららしい。

 

交通事故に出くわした時に…

モーニング娘の吉澤さんが、飲酒運転の上、ひき逃げをしてしまった。弟さんを交通事故で亡くしているのに、何故?非常に残念だ。

ひき逃げをした瞬間の映像がテレビで流れていたけれど、怪我をした二人を助けることなく、その場を去った人達を批判するコメントが少なくない。

事故現場から去って行った人達について、ある教育評論家は苛めにまで繋げて批判をしていた。…何だかな~。

確かに事故に出くわしたら、怪我をした人達を助けることは大切だけど、果たして自分がその場にいたら、助けることが出来ただろうか?と思う。はっきり言って、私は自信がない。

あの映像は凄く短いし、被害を受けた人達は何とか立ち上がってもいた。

ほんの十数秒間の映像で、その後の対応は流れていない。あの短時間であれば、ビックリして対応出来ずに、いつもの行動をとってしまっただけではないだろうか?怪我人にすぐさま駆け寄るなんて、ほぼ無理なのでは?特に高校生くらいの子供は無理だ。

この教育評論家は、この高校生くらいの子供達がネットで批判されている現状をどの様に思っているのか?教育評論家なら、心理学の勉強もしている筈ではないのか?苛めを見て見ぬふりをする人間の心理を勉強しているのではないのか?

後付けで批判をする事は、誰でも出来る。

 

映画:マイマイ新子と千年の魔法

アニメ映画「この世界の片隅に」の片渕素直監督の作品。お奨めである。

昭和三十年代くらい? の山口県が舞台。

主人公は小学校の中学年くらいの二人の女の子。空想好きな新子と東京から転校してきた貴伊子。いわゆる、ガールミーツガールの物語。(何となく赤毛のアンを連想していると、なんと似たエピソードがあった)

舞台は麦畑が広がる田舎町。豊かな自然の中で、子供達が生き生きと遊ぶ。畦道に咲く野花が美しい。子供達の周りには音が満ちている。雲雀や鳶の鳥の声。蛙の合唱。お米のポン菓子「ドカン」(私の町では「パクン」だった)を作る破裂音。草笛の音。用水路である川のせせらぎには、ドジョウに何処かから紛れこんだ金魚が泳ぐ。空には天の川が横たわり、夏は蛍が群れ飛ぶ。子供達の日々が自然の中で紡がれていく。

そして、子供達の世界は無邪気なままではなく、どうしようもない大人の事情に幻滅したり悲しんだり憤慨したりもする。

さて題名の「千年の魔法」であるが、山口県は古来から周防の国と呼ばれていた。新子は祖父から千年前に都があったと聞かされ、その都を空想する。その周防の国府に赴任してきた清原元輔の娘、諾子(なぎこ)。京の都からやって来た彼女は友達が居なくて、一人ぼっち。その女の子が友達を見つけるまでの物語がたびたび差し込まれる。(ちなみに、大人になった彼女は凄く有名な人物である。現代であれば人気ブロガー? と言われる随筆家である)

 懐かしい景色、懐かしい音。小学生の上級生から小学校に上がる前の小さな子までひっくるめて遊んでいたあの頃を思い出す。

ドラマ:この世界の片隅に

アニメ映画はDVDで鑑賞済み。

日常の中に戦争があった時代。

広島の海苔農家に産まれた主人公、浦野すず。

絵を描くのがとても好きで、のんびり屋。

とにかく、とても可愛らしい。

演じるのは松本穂香さん。

意識高過ぎ、高杉くんのCMの女の子。

 

家族は両親と妹、そして母の実家に祖母とその家族。お祖母さん役が宮本信子さん。

すずのお父さん役の俳優さん、何処かで観た事があると思ったら、ドロンズの石本さんだった。

そんな彼女が、呉にお嫁に行くことになる。

結婚相手は北條周作さん。演じるのは、松坂桃李さん。

小さな頃に出会っていた二人(映画では最後に判るシーンがあるけれど、ドラマでは早々と二話目で判明…あの話の流れでは、仕方あるまい)であるが、すずは最初、何で自分が結婚相手に選ばれたのかが判らない。

最初は戦争しているのが信じられない程に穏やかな日々が過ぎて行く。

そんな中でも、周作さんのお姉さんが、実に良いキャラクターを発揮する。きつい性格で、すずさんをビシビシ指導する。演じるのは、ピッタリの尾野真千子さん。

そして、周作さんの幼馴染役の幸子さん。朝ドラの「ひよっこ 」の米屋の米子役をしていた伊藤沙莉さん。

雰囲気が「ひよっこ」と似てるな~と思ったら、脚本は「ひよっこ」と同じ岡田惠和さん。そう言えば、主人公の松本穂花さんも「ひよっこ のラジオ工場の同僚だったね!

 

以下、映画の話。観ていない方はネタバレになるので注意。

話が進むにつれて、次第に不穏な気配が漂って来る。

呉は軍港なので、空襲に何度も襲われる。最後の方は空襲警報に馴れてしまって行く…此処がリアルだ。

そして、とうとう戦争はすずの近くにいた命をもぎ取って行った。すずの身体の一部と一緒に。

呉の空襲を避けるため、すずに広島への疎開の話が出る。けれど「呉に居たい」とすずは残ることを選択する。

そして「あの朝」がやって来る。

突然の光。「何か光った?」「雷か?」戸惑うすず達を大きな揺れが襲う。

そして、広島の方向に立ち上がる「かなとこ雲」。

すずの家族が、あの雲の下に居る事を想像させる。そこに地獄が拡がっている事も。

広島の被害がじわじわと人々の間に噂として染み込んで行く。(呉に広島の「回覧板」やら「障子」やらが落ちて来た事を、この映画で初めて知った

そして、終戦

あれ程の被害を出しながら、戦争に負けた。

戦争に勝つことを、信じていたのに。

その絶望と空虚。

すずの広島の家族。あの朝、すずの母親は市内に出かけていて、死んでしまっているのは容易に想像でき、母親を探して父親と妹が市内に足を踏み入れた。父親はそのせいで既に死に(多分、原爆症)原因不明の病の妹にも、死を予感させる痣が腕に浮かんでいる。

街は焼け、沢山の人が死に、食べ物もまともに手に入らない。けれど、すず達は生きていかなくてはいけない。

この映画では、食事のシーンが多く出てくる。すずは足りない食材を補うため、野草を摘み、闇市へ出掛け、嵩増しの工夫を凝らす。そして、家族で食卓を囲む。

それは、戦争が終わってからも連面と続いていく。

周作の母親が、隠し持っていた米を取り出し「明日も明後日も食べていかなくてはいけないから、少しずつ使え」と、すずに渡す。

戦争に負けても街が焼け野原になっても、今日は何を食べようか、明日は何が食べられるか、と考える。

生きることは、食べる事。