映画:未来のミライ

テレビで放送していたので観賞。テーマは、家族、子育て、兄妹愛、先祖から続く系譜、なのかなぁ?

主人公は四歳の男の子。名前はくんちゃん。くんちゃんは甘えん坊でわがまま。だって、今まで家の中でたった一人の子供で「王子様」だったのだ。そこに新たな家族が登場する。生まれたばかりの妹、未来ちゃんだ。くんちゃんは勿論、お兄ちゃんとして妹である未来ちゃんを可愛がる…とはならない。逆に大好きなお母さん(と、お父さん)をくんちゃんから遠ざけて独占する邪魔者として未来ちゃんを認識する。それからというもの、くんちゃんは「好きくない!」の台詞を連発し、寝転がってワンワン泣く等の抵抗を始める。ありがちだけど、下の兄弟が出来た上の子供の反応としては至極当然。こんな事あるあるだよね可愛いなぁ、と見守るような気持ちになってしまう。

お母さんは昼夜関係なく赤ちゃんに授乳させ、オムツを替え、お風呂に入れ…毎日その繰り返し繰り返し。お母さんの体力と精神力は限界。まだ小さな上の子供はイヤイヤ期で言うことを聞かない、部屋中にオモチャを散らかし、気に入らない事があればギャンギャン泣きわめく。さらに、育児休暇を充分にとることなく仕事に復帰。妻がそんな状態なのに、二人の子供の父親でもある夫はどことなく他人事。…お母さんがイライラして余裕がなくなるのは至極当然だ。

お父さんは、くんちゃんが赤ちゃんの時は妻に育児を押し付けていて、ほぼ育児は初体験。独立したばかりの建築士で在宅にて仕事をしている。仕事に夢中になると子供達はほぼ放置状態。あと、くんちゃんに自転車の乗り方を教えるのが下手過ぎる。(運動音痴というか、子供の頃は身体が弱かったから身体を動かす事が苦手なんだろう、と思わせるエピソードが後で出てくるけど…)

この両親は典型的な日本人の核家族のモデルケースのようだ。最近の若い夫婦は、妻が専業主婦であることを許されない。共働きでほぼフルタイムで仕事をしながら、家事に育児にと大忙し。ところが、夫は協力すると言いながらも、妻から見れば頼りなさ過ぎる。今の少子化の原因の一つでもある育児に対する夫の不参加の問題。う~ん、この監督はこのテーマを取り上げたかったのかなぁ?

くんちゃんは、両親に腹を立てて家の中庭に逃げ出す度に違う世界にトリップして、そこで様々な人に出会う。そこでの経験で、くんちゃんは少しずつ成長して、最後には自分が未来ちゃんのお兄ちゃんであることを認めて物語は終わる。ハッピーエンド…なのだろう。でも、なんだかモヤッとするけど。

モヤモヤの原因は、高校生のくんちゃん自身を出した事だ。赤ちゃんの未来ちゃんと高校生の未来ちゃんは同時に認識されなかったのに、何で四歳のくんちゃんは高校生のくんちゃんを認識出来たのか?逆に高校生のくんちゃんが四歳のくんちゃんを認識していたし…。それと、東京駅のシーンが今までの別世界のシーンとは種類が違い過ぎて、混乱してしまった。

前作の「バケモノの子」の時も感じた変なモヤモヤ感。「バケモノの子」の時は、主人公が現実世界に戻った時にいきなり図書館に行って、そこで知り合った女の子に勉強を教えてもらったり、行方不明だった父親(母親が死んだのに息子をほったらかしにしていた)が、余りにも平凡で優しげな性格だったりして「話の繋がりがおかしいなぁ」と思ってしまった。

あと、幾つかの台詞が説明ぽくて、もっと違う台詞が良いのにな~と思い、脚本は誰だ?と調べてみたら、監督本人だった。あれ?この監督の得意分野って「絵」だよね。「時をかける少女」や「サマーウォーズ」の時の脚本は良かったのになぁ~と思って再度調べてみたら、監督ではなく別の人だった…あらら。

 

 Twitterでは、主人公の声の違和感を取り上げるコメントが多く、声をあてた女優さんに同情してしまった。これも、KOMと同様に配役ミスなのか?彼女をあてたのは監督の意向ではなく製作側の意図なのだろう…と思うけれど。この女優さんのプロダクションで適任の子役がいなかったのかな?

くんちゃんが「わがまま過ぎ」「うるさい」という意見もあったけれど、自己主張の強い子供ってこんなものだ。私に子供はいないけれどね。あと、くんちゃんの両親を批判するコメントもチラホラ。イヤイヤ期になってしまったくんちゃんを一向にフォローしない両親に「くんちゃんが可哀想」とか…う~ん?皆さん、母性愛や父性愛に期待し過ぎではないだろうから?

映画:ソムニア

深夜枠のテレビで放映していたので、観賞。

部類としてはホラーファンタジー

八歳の幼い少年が里親に引き取られる。しかし、愛らしくおとなしい少年コーディには、いわくつきの経歴があった。これまでも数組の里親が失踪したり、コーディを手放しているのだ。

実は、コーディは眠って見る夢が現実になってしまう不思議な能力を持っていた。コーディが眠って夢を見ると、綺麗な蝶が舞う。里親の死んだ筈の実子であるショーンまでもが現実に姿を現し、妻のジェシーはショーンに会いたさにコーディが眠って夢を見ることを切望する様になる。それを批判する夫のマーク。夜毎現れるショーンは本当のショーンではなく只のイメージでしかない。コーディを虐待しているだけだ、と。しかし、ジェシー聞く耳を持たずにコーディを眠らせるための睡眠薬まで手に入れてしまう。

しかし、夢は綺麗な物だけとは限らない。時には、コーディは悪夢も見る。コーディが悪魔を見ると「キャンカーマン」が出て来るのだ。白いミイラの様な化け物の姿をしたキャンカーマンは「いつも、お前の側にいるぞ」とコーディの耳に囁き、現実の人間を襲って飲み込んでしまう。

純真なコーディが可愛らしく、なんとも健気で切なくなる。コーディは自分が眠って夢を見ると周りの人に危害が及ぶ事を知っているので、とにかく眠らないようにエナジードリンクやカフェイン剤を飲み、ベッドの中で蝶の図鑑を眺め続ける。

そんなコーディの健気な努力も空しく、ショーンに会いたいジェシーは、睡眠薬をミルクに混ぜて飲ませてしまう。そして、眠ったコーディの悪夢によってキャンカーマンが姿を現してしまい、マークとジェシーを襲う。しかし、睡眠薬のせいでコーディは目覚めない。結局、マークはキャンカーマンに飲み込まれてしまい、コーディは施設に連れ戻されてしまう。(ジェシーが子供のコーディに睡眠薬を飲ませてしまったから)

コーディを諦めきれないジェシーは、コーディを取り戻すために彼の過去を調べ始め、入院先の病院に乗り込んでいく。病院では、眠ろうとしないコーディを無理矢理に眠らせるために安定剤が注射され(これって、どうなの?)キャンカーマンが出てくるフラグが立つ。

コーディの悪夢によって、病院のスタッフ達は木の根や蜘蛛の糸の様な物でグルグル巻きにされて壁に縫い止められていて、ジェシーはコーディを探して病室をさ迷う。そのひとつで、ジェシーはリビングのソファーに座ったコーディを見つけるが、そのコーディの前に両目が黒い穴になっているジェシーが出てきて、コーディの頭や顔をグチャグチャ、ゴリゴリと両手で捏ね回し、ショーンの姿に作り替えてしまう。(私としては、このシーンが恐くて、印象に残った。やっぱり、コーディは嫌だったのね)

ラストで、キャンカーマンの「真実」が暴かれるのだけれど、それも切ない。ただ、キャンカーマンに飲み込まれてしまった人達の決着の付け方が?でした。

蛇足。

引き取られたばかりの時に、家のリビングでのコーディの立ち姿が、スヌーピーに出てくる男の子のシルエットのまんまだったのが、何か感動してしまった。

映画:海獣の子供

原作の漫画は未読。なので、ファンの方はごめんなさい。

予告で流れていた映像美を求めて観に行った。期待どおりの美しさだったので、その点だけでも観る価値あり。

 子宮の中を満たす羊水の様に、トロリとした粘度のある海面。晴れた海、曇りの海、雨の海。優しい海、恐い海、海、海、海。

砂浜に打ち寄せた波が引き、引いていく波に取り残された海水が砂浜に吸い込まれる。潮風が肌を擦り、波打ち際を歩く足の裏や指の間を砂が流れていく。

土砂降りの雨の中で自転車を漕ぐ、顔や身体にぶつかって来る雨粒の痛さと雨に溺れているかような息苦しさ。雨の匂い。

運動場で転んだ膝の擦り傷のひりつき。教室の木の床の固さ。床に散らばる埃の臭い。

う~ん、なんだこの感覚は。映像を観てリアルな「触感」や「嗅覚」の励起が起こったのは初めてだ。

 

残念な評価としては、待ちに待ったクライマックスシーンが、それまでの「これでもか」というくらいの緻密な映像美とはうって変わって抽象的な表現のオンパレード。…眠い。勘弁して下さい、眠いです…となってしまった。

そして話が難解。主人公の女の子の「悩み」と、「祭り」と呼ばれる、地球全体どころか宇宙規模の巨大な事象のバランスに戸惑う。

ジュゴンに育てられた少年二人は、海への生け贄なのか?だとすると、生け贄の必要性が判らない。

海洋学者達が、何やら研究しているけれど、何のために研究しているのか、さっぱり判らない。さらには米軍?まで出てきて、海洋開発の陰謀にまで拡げる意味はあるのか?

主人公の女の子は一匹狼タイプらしく、学校のハンドボール部では孤立気味。チームメイトの一人とトラブっても、味方になってくれる人がいない。顧問の教師までもが、先に手を出した相手のケガばかりを気遣って、膝を擦りむいている主人公をいたわるどころか叱責する。さらに家では、母親がアル中気味で父親は家を出ていってしまっている。アル中の母親と中学生が二人暮らし。おい、父親。それで良いのか?と突っ込みたくなる。たぶんだけれど、この女の子は「お前はしっかりいているから、大丈夫だよな」と言われるタイプなのだろう。それにしても、あんまりだ。

冒頭の水槽の前に立つ主人公の女の子の前に魚が集まる理由は全くなく、謎のまま。誰か、教えてくださいと言いたくなる。

おまけに、途中から出てきた若い海洋学者は、何のために出てきたのか?

原作に忠実なのかも判らないので、もやっと消化不良気味でエンドクレジットを迎えた。

つまり、原作を読めと言うことですね。

 

 

 

バスのドアが開いていますよ

昨日のめざましテレビで、バスのドアが開いた状態のまま数分間走っている動画が放送された。

動画を撮った高校生が「怖くてパニックになった」とインタビューを受けて、めざましテレビは何で開いた状態で走ってしまったのかの検証をしていた。

ん?どこかおかしくない?動画を撮るよりも、先に出来ることあったよね。たった一言「運転手さん、ドア開いてますよ」と言えば良かったのでは?

一番「?」だったのは、めざましテレビの報道の仕方。最後のコメントに「バスの入り口付近で立たない・荷物を置かない」「ドア開いてますよ、と声をかけよう」と言って欲しかった。

確かに、目視での安全確認を怠った運転手も悪いし、ドアが開いたまま走行した場合の安全装置が解除されていた事はバス会社の点検ミスなので、それは批判されて然るべきだけど…。

ただ、毎日通勤や通学の足として使っているバスの運転手さんに、感謝の気持ちがなかったのかな?バスを降りるときに「ありがとう」と言わないのかな?

ネットでは炎上気味。動画を撮った高校生のアカウントは大変なことになりそう。そして、この動画を全国的に「拡散させた」めざましテレビは、この高校生の事を丁寧にフォローして欲しい。しなかったら、大人として無責任では?

誰だって間違えることがある。だから、誰かのミス→動画を撮って晒す、ということはやめて欲しい。そして、報道に携わる人達も、視聴者の動画を軽々しく扱わないで、じっくりと検証してから放送して欲しい。

まぁ、めざましテレビは報道番組と言うよりはバラエティのカテゴリに近いから、期待をするだけ無駄なのかも?

 

 

 

 

映画:ゴジラKOM

怪獣のど突き合い、最高でした。

監督の愛が溢れていました。

モスラは神々しく、ラドンが危ない。

キングギドラが恐ろしく、ゴジラが格好いい。

映画の評価サイトでは、人間ドラマが陳腐だというご意見もありますが、主役はあくまでも怪獣。

ゴジラが格好いい。それだけで良いのです。

映画:打ち上げ花火下から見るか横から見るか

BSでやっていたので、視聴。

最初の感想…なんだこれ?。

原作、スタッフ、声を担当した俳優と声優、主題歌…どれもが豪華過ぎるのに、この残念感と無駄遣い感。

公開当時、制作に携わったテレビ局がゴリゴリな押せ押せモードで、飽きるくらいに主題歌がバンバン流れていたから、よっぽど良い映画なのかな?と思っていたのだけれど…。

空とか水の描写は綺麗だけど、 パクりっぽい場面も満載だし、いきなりミュージカル風になって失笑したりする。

何より登場人物の目がドアップになるシーンが多過ぎて、気持ち悪い。

これは、物語シリーズを手掛けた制作会社だからなのか?好きな人は好きなのか?

でも、私は苦手。

映画館で観ていたら、金返せと言いたいレベル。

随分前に、マグノリアという映画を映画館で観たが、その時のガッカリ感に近い。

そう言えば、その当時にマグノリアをプッシュしまくっていたテレビ局も、○ジテレビだったな…。

その残念感が強すぎて、ついつい感想の書き込みをしてしまう。

 

以下、ネタバレ。

よくある初恋物…と、言いたい。

メインキャストは中学生の男の子(典道と祐介)とその二人を含めたクラスの男子が何となく気になっている女の子(なずな)。

典道と祐介は、お互いがなずなを好きであることを知っていて、告白する・告白しないという、思春期始めの子供にありがちな「遊び」をしている。(と言うか、それって小学生がすることだよな…)

一方のなずなは、母親の再婚に伴い、二学期から別の学校に転校する事が決まっているが、新しい父親には馴染めないでいる様子。

しかしまぁ。母親は結婚が三回目(しかも、二回目のなずなの父親とは、不倫の果ての駆け落ち)、相手の男も典道を躊躇なくグーで殴る輩なので、再婚後の家庭の将来が危ぶまれる。余計なお世話だが。

美少女一人に少年が二人。夏休みを控えた花火大会。これが揃ったら、観客が期待するのは三角関係を絡めた展開だろう。なのに、その描写が中途半端。

原因はもちろん、祐介のキャラクターがぶれまくっているせいだろう。

これは、物語のキモでもあるSF設定が影響しているので、仕方がないのかも知れないが…。

映画の冒頭、海の磯辺でなずなが拾った不思議な硝子玉(サンキャッチャーみたいな多面体に金色の線が入っている。明らかに灯台の照明に使うレンズを連想させる。なずなの部屋にもサンキャッチャーがあるし…)を投げると、時間が遡ってやり直しができる。

君の名は。」を真似たタイムリープ物と思いきや、硝子玉を投げた典道が別世界に跳んでいるらしく、硝子玉を投げる度に登場人物のセリフや物理法則が変わっていくので、祐介のキャラクターもビミョーに変化する。

調べてみたら、○ジテレビでやっていた二者択一のドラマシリーズの派生らしい。

だから、駅の名前が「茂下(もしも)」なのか。

ヒロインのなずなは転校(と言うか、母親の再婚)に反発をして家出を計画する。

そんな家出中である筈のなずなが、呆れたことに浴衣姿というのは、彼女のメンタルがまだ子供であることの示唆なのか?

それにしても危機感が無さすぎる。浴衣と下駄で全力疾走出来る訳が無いでしょ。

後で着替える予定だったからなのか?

でも、母親が怒りまくって追いかけて来たから、家出をする旨の置き手紙でもしたんだろうな。

段取りが悪すぎると言うか、頭悪すぎる。だから、まだまだ子供なのだと言いたいのか?謎だ。

しかし、ヒロインをスクール水着、フリル付きのミニスカ制服、浴衣、白のキャミソールドレスと着替えさせていくのは、少女趣味の変態を釣るためとしか思えないのだけれど。

その家出の途中で、なずなが母親達に見つかり無理矢理連れ戻される場面に出くわした典道と祐介を含めた数人の男子達。

「あいつん家、ヤバイくない?」と盛り上がる男子達と祐介(その場の雰囲気で思わず?)が、なずなを馬鹿にするセリフを言ってしまったため、腹をたてた典道が祐介を殴ってしまう。

このシーンの祐介の心理描写や典道との絡みの描写が足りない。

それとも、祐介はなずなの事はそれほど好きではなかったのだろうか?

なずなと花火大会に行く約束を伝言もなしにすっぽかしたり、典道となずなをくっつける様にリードしたりしていたので、なずなを本気で好きな典道に合わせていただけなのか?

でも、途中で何度もなずなを好きだと言うし、イマイチ解らないキャラクターだ。

おまけにイケメンの割には○ンコと言いまくるし。こいつも、まだまだ子供だからか。

 

なずなが落とした件の硝子玉を典道が拾い上げ、なずなを助けられなかった後悔を込めて投げると、あら不思議、時間が遡って(別世界に跳んで)しまう。

なずなを助けるために、典道は何度も硝子玉を投げる。そして、最後には元の世界になずなと戻りたいと願う。

問題のラストシーンについては「観た人の解釈に委ねます」とばかりの描写。

二学期が始まった教室で、担任が五十音順に生徒の名前を読み上げて出席を取っていく。

既に転校したなずなの名前は読み上げられることはなく、典道の名前が何度も読み上げられるが返答はない。

そして、空っぽの机とふてくされて頬杖をつく祐介(このシーンで、ここは元の世界で祐介がふてくされているのは、典道に殴られたから、と分かる)のカットが写され、そこで映画は唐突に終わる。

え?どうなったの?典道は無事に元の世界に戻って来たの?と大きな疑問符が頭の上で揺らいだ。

おいおい、ちょっと待て。余りにも丸投げで唐突すぎるでしょ!

せめて、なずなの花が咲き乱れる野原(と言うか、空き地)のシーンをしばらく流して終われば良かったのに。

あれだけ映画の中で、このなずなの花が咲く野原のシーンを差し込んでおいたくせに、せめて余韻として使おうよ!

これって甘酸っぱい初恋の映画じゃなかったの?

残念過ぎて、呆れました。

そのシーンで終わるだけでも、評価は変わりましたね、絶対。

 

 

バカッター

アルバイトの若者の不適切な行為の投稿が話題になっている。

若者のモラルの低下を嘆くより、採用するときに「そんなことがあったら、賠償請求するよ」と言えば良いだけでは?

さらに「株価が下がれば、それも含めるよ」と言えば、絶対に馬鹿なことはしないと思う。

YouTubeで、虹色侍の二人が面白い歌を作っていたので、是非とも観て欲しい。